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新憲法草案注解  第二十条(信教の自由)

20条については重大な変更が企てられている。9条に匹敵する変更、改悪である。

現行憲法 第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、   国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
 ② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
 ③ 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

案  ①項②項は同じ。
 3 国及び公共団体は、社会的儀礼又は習俗的儀礼の範囲を超える宗教教育その他の宗教的活動であって、宗教的意義を有し、特定の宗教に対する援助、助長若しくは促進又は圧迫若しくは干渉となるようなものを行なってはならない。

 わかりにくいので、細かいところを除いて、本質的なところだけを論ずる。問題は「社会的儀礼又は習俗的儀礼の範囲を超える」ことがなければ、国や公共団体が宗教的教育、活動がゆるされるとしていることである。これは、「政教分離」を骨抜きにし、「信教の自由」を侵してもいいとするものである。これは、いわゆる「靖国問題」に関わるところである。戦争の問題に一度でも真剣に取り組んだことなある人なら、靖国神社を中心とする「国家神道」なるものが、戦争遂行にいかに重要な役割を果たしたか知っている。神社は「習俗」であり「儀礼」であるとする論理は、戦前から猛威をふるっていた。このことによって、「個」が犯され、信教の自由も思想信条の自由も侵されたのである。戦後もなお、靖国神社を国家護持しようとする法案が数度にわたって、国会に提出された歴史がある。そのときには、民主的な勢力の力が強く、戦争の記憶もなまなましかったので、この法案はついに廃案となって久しいのである。この道が突破困難だと見なした人々は首相の靖国公式参拝を目指し、その常態化でもって突破口を開こうとした。小泉前首相のとき、戦犯合祀のことも含めて、このことが大きくクローズ・アップされた。
 近代の日本の歴史は天皇制により、個を抑圧し、全体の中に埋没させ、侵略戦争を前進させたのである。天皇制と国家神道と軍隊は一体になって、あの日清戦争以来の戦争を遂行してきたのである。
 第20条は平和のために必要なものである。それは一人の個人にとってもそうであるし、日本全体にとってもそうである。ここは、一つの生命線であって、ここがかえられると日本の社会は全体主義に向かって、急転落していくことになるだろう。一般的に理解されないところであるが、極めて重要なところである。改悪させてはならない。

by reodaisuki1s | 2007-08-30 00:30 | 憲法「改正」問題  

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