タグ:自民党 ( 4 ) タグの人気記事

 

新憲法草案注解  前文、13条 と20条

ここで、自民党の新憲法草案全体について論じておこう。
 私は、ここ2年近く、自民党の新憲法草案について吟味し、考えてきた。
 そして、最近考え始めたのは、自民党新憲法草案の根本問題は、ただ現行憲法の平和主義の否定だけでなく、現行憲法に国体の精神が注入されようとしているのではないか、ということである。
 「国体」と言っても、このコラムを読まれている方の多くがご存知ないかもしれない。ここで言っている「国体」は国民体育大会のことではない。いわゆる「天皇制」のことである。
 ここで詳しいことを論ずることができないが、「国体」の精神が、新憲法草案の前文にも、13条にも、20条にも侵入しているのではないか。「国体」と人権の考えは、決して相容れないのではないか。
 昨日、20条の会という、浄土真宗の僧侶とキリスト教の牧師が発起人の会に参加して、そこで行なわれた議論を聞きながら、思いはそこに至った。
 先の大戦のとき、日本の支配者たちが、ポツダム宣言を受諾するかどうか苦慮していたとき、問題は国体を護持しえるかどうかということであった。
 結局、国体は護持されてしまったのだと思う。現行憲法は、国体を基本的に排除する思想を持っているが、結局、1条から8条までの天皇条項によって、国体は維持されてしまったのだと思う。
 しかし、自民党の案は、凍結されていた国体が、憲法の中でもうごめき出した気味悪さを感じさせる。ほとんど寄生虫のようなものだ。私は、とても「国体」を美しいものとは思えないのである。
[PR]

by reodaisuki1s | 2007-09-08 21:28 | 憲法「改正」問題  

新憲法草案注解  (信教の自由)第二十条Ⅲ

 二十一条まで進んでいたのだが、二十条について書き残したことがある。
それは、案の十三条との関係である。

 案では、現行憲法の「公共の福祉に反しない限り」を「公益及び公の秩序に反しない限り」としているのは、実は、基本的人権の保障を骨抜きにしようとしているのだと、十三条のところで書いた。これは、現在、自民党案が発表されたときより、多くの人たちに認知されてきていると思う。そのことについて、ここで反復は避けたい。
 ただ、一つ、ここではっきりさせておきたいのは、自民党案の二十条は、自民党案十三条と根底においてつながっているということである。「公益と公の秩序に反しない限り」というのは、「信教の自由」にこそあてはめたいと思っているのが自民党なのである。
 現行憲法の20条三項の厳密な「政教分離規定」が、自民党案では、実は「公益と公の秩序」が大事だという観点から、骨抜きにされているのである。
 その点、13条の「基本的人権の尊重」が、「公益と公の秩序」の導入により、事実上骨抜きにされているのが、具体的に「信教の自由」を骨抜きにすることを明記しているのが、自民党案の20条三項なのである。

 憲法がかえられていない現在においても、「君が代」「日の丸」が国歌・国旗とされ、入学式や卒業式のときに、起立や歌うことを強制されて、憲法十九条の思想良心の自由が尊重されていないという現実がある。そして裁判になっても、裁判所そのもが人権感覚に乏しく、政府・国歌に迎合的な判決しかださない状況である。
 このことを考えたら、20条をかえることはきわめて問題なことは明白である。ここから、他の人権尊重も崩れていくのは目に見えている。
[PR]

by reodaisuki1s | 2007-09-07 13:28 | 憲法「改正」問題  

新憲法草案注解  第二十条(信教の自由)

20条については重大な変更が企てられている。9条に匹敵する変更、改悪である。

現行憲法 第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、   国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
 ② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
 ③ 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

案  ①項②項は同じ。
 3 国及び公共団体は、社会的儀礼又は習俗的儀礼の範囲を超える宗教教育その他の宗教的活動であって、宗教的意義を有し、特定の宗教に対する援助、助長若しくは促進又は圧迫若しくは干渉となるようなものを行なってはならない。

 わかりにくいので、細かいところを除いて、本質的なところだけを論ずる。問題は「社会的儀礼又は習俗的儀礼の範囲を超える」ことがなければ、国や公共団体が宗教的教育、活動がゆるされるとしていることである。これは、「政教分離」を骨抜きにし、「信教の自由」を侵してもいいとするものである。これは、いわゆる「靖国問題」に関わるところである。戦争の問題に一度でも真剣に取り組んだことなある人なら、靖国神社を中心とする「国家神道」なるものが、戦争遂行にいかに重要な役割を果たしたか知っている。神社は「習俗」であり「儀礼」であるとする論理は、戦前から猛威をふるっていた。このことによって、「個」が犯され、信教の自由も思想信条の自由も侵されたのである。戦後もなお、靖国神社を国家護持しようとする法案が数度にわたって、国会に提出された歴史がある。そのときには、民主的な勢力の力が強く、戦争の記憶もなまなましかったので、この法案はついに廃案となって久しいのである。この道が突破困難だと見なした人々は首相の靖国公式参拝を目指し、その常態化でもって突破口を開こうとした。小泉前首相のとき、戦犯合祀のことも含めて、このことが大きくクローズ・アップされた。
 近代の日本の歴史は天皇制により、個を抑圧し、全体の中に埋没させ、侵略戦争を前進させたのである。天皇制と国家神道と軍隊は一体になって、あの日清戦争以来の戦争を遂行してきたのである。
 第20条は平和のために必要なものである。それは一人の個人にとってもそうであるし、日本全体にとってもそうである。ここは、一つの生命線であって、ここがかえられると日本の社会は全体主義に向かって、急転落していくことになるだろう。一般的に理解されないところであるが、極めて重要なところである。改悪させてはならない。
[PR]

by reodaisuki1s | 2007-08-30 00:30 | 憲法「改正」問題  

新憲法草案 第十五条(公務員の選定及び罷免に関する権利等)

第十五条については、かな使いのほか、内容には変更なし。(公務員の云々)の標題が付け加えられた。
[PR]

by reodaisuki1s | 2007-08-27 18:11 | 憲法「改正」問題