新憲法草案注解  (信教の自由)第二十条Ⅲ

 二十一条まで進んでいたのだが、二十条について書き残したことがある。
それは、案の十三条との関係である。

 案では、現行憲法の「公共の福祉に反しない限り」を「公益及び公の秩序に反しない限り」としているのは、実は、基本的人権の保障を骨抜きにしようとしているのだと、十三条のところで書いた。これは、現在、自民党案が発表されたときより、多くの人たちに認知されてきていると思う。そのことについて、ここで反復は避けたい。
 ただ、一つ、ここではっきりさせておきたいのは、自民党案の二十条は、自民党案十三条と根底においてつながっているということである。「公益と公の秩序に反しない限り」というのは、「信教の自由」にこそあてはめたいと思っているのが自民党なのである。
 現行憲法の20条三項の厳密な「政教分離規定」が、自民党案では、実は「公益と公の秩序」が大事だという観点から、骨抜きにされているのである。
 その点、13条の「基本的人権の尊重」が、「公益と公の秩序」の導入により、事実上骨抜きにされているのが、具体的に「信教の自由」を骨抜きにすることを明記しているのが、自民党案の20条三項なのである。

 憲法がかえられていない現在においても、「君が代」「日の丸」が国歌・国旗とされ、入学式や卒業式のときに、起立や歌うことを強制されて、憲法十九条の思想良心の自由が尊重されていないという現実がある。そして裁判になっても、裁判所そのもが人権感覚に乏しく、政府・国歌に迎合的な判決しかださない状況である。
 このことを考えたら、20条をかえることはきわめて問題なことは明白である。ここから、他の人権尊重も崩れていくのは目に見えている。
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# by reodaisuki1s | 2007-09-07 13:28 | 憲法「改正」問題  

新憲法草案注解 (表現の自由)第二十一条

新憲法草案の第二十一条は、二項でなりたっている。今までになかった(国政上の行為に関する説明の責務)として第二項が新設されたのである。全体が見渡せるようにまず、現行憲法の第二十一条を書いておこう。
 
 第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由はこれを保障する。
② 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

 これを案はこうかえようとしている。
(表現の自由)
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由、何人に対しても保障する。
2 検閲は、してはならない。
(国政上の行為に関する説明の責務)
第二十一条の二 国は、国政上の行為につき国民に説明する責務を負う。

 現行憲法の「通信の秘密は、これを侵してはならない」が十九条のニに移動し、新設されたのだが、これが適切なのか疑問がある。また、国政上の説明責任をここに入れているが、これはそれほど、必要なことなのか。どうもよくわからないのであるが、ここには人権理解について、何か、混乱があるのではないか。新しく見せるだけのものではないか。よく考えられているとは思えない。混乱を引き起こすだけではないか。
 ここで思い出すのは、アメリカの憲法が、最初は人権のことを書いていなかったという事実である。人権について十分意識されていながら、最初、憲法に書き込まれていなかったのは、「人権のことについては、憲法にすべて書くことができない。書くことによって,かえって書き留められた人権だけ守ればいいということにならないか」という声があったそうである。それが、フランスの憲法で人権のことが書かれたので、修正○○条として付け加えられたということである。それを考えれば、あまり安易に付け加えないほうがいいのではないか。そのことによって、かえって国民の人権感覚を撹乱することになるのではないか。
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# by reodaisuki1s | 2007-09-06 23:08 | 憲法「改正」問題  

新憲法草案注解 第二十条(信教の自由)Ⅱ

 現行憲法ニ十条が、九条と強いつながりを持っているのは、1945年の敗戦時、日本に進駐してきた、連合軍GHQが、10月にいわゆる神道指令というものを出して、国家神道を解体していることから明らかである。この神道指令が今日の、第二十条、八十九条のもとなのである。これは、アメリカで日本の敗戦後、日本が再び戦争しないようにするためには、国家神道を解体する必要があると考えられていたせいである。
 私は、このアメリカの研究者たちの見解はただしかったと思う。わたしは、戦争を阻止したいので、そのことからも、現在の第二十条を堅持したい。
 そして、第二十条は、全体主義に抗する闘いの橋頭堡なのである。天皇制全体主義と軍隊によって、戦争は遂行され、人権侵害がなされた。
 9条と20条が同時にかえられようとしているのは決して偶然ではない。それは一つの車の両輪なのである。天皇制全体主義国家という、一つの車の。

 ついでに言っておくと、戦前と戦後、神社は宗教ではない、儀礼だという論理で、神社非宗教論が唱えられた。これこそ、神道を特別扱いして、国家神道を可能ならしめる論理なのである。ちゃんとものを考える人なら、こんな論理には誤魔化されないであろうが、誤魔化される人もいるのである。そこに権力はつけこんでくる。だまされないようにしたい。

 なお20条に関連する89条にも手がつけられたいる。

 もうひとつ言えば、19条に手をつけず、20条に手をつけたということが注目される。「信教の自由」を制限した後に、「思想の自由」を奪おうという算段であろう。
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# by reodaisuki1s | 2007-08-30 17:39  

新憲法草案注解  第二十条(信教の自由)

20条については重大な変更が企てられている。9条に匹敵する変更、改悪である。

現行憲法 第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、   国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
 ② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
 ③ 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

案  ①項②項は同じ。
 3 国及び公共団体は、社会的儀礼又は習俗的儀礼の範囲を超える宗教教育その他の宗教的活動であって、宗教的意義を有し、特定の宗教に対する援助、助長若しくは促進又は圧迫若しくは干渉となるようなものを行なってはならない。

 わかりにくいので、細かいところを除いて、本質的なところだけを論ずる。問題は「社会的儀礼又は習俗的儀礼の範囲を超える」ことがなければ、国や公共団体が宗教的教育、活動がゆるされるとしていることである。これは、「政教分離」を骨抜きにし、「信教の自由」を侵してもいいとするものである。これは、いわゆる「靖国問題」に関わるところである。戦争の問題に一度でも真剣に取り組んだことなある人なら、靖国神社を中心とする「国家神道」なるものが、戦争遂行にいかに重要な役割を果たしたか知っている。神社は「習俗」であり「儀礼」であるとする論理は、戦前から猛威をふるっていた。このことによって、「個」が犯され、信教の自由も思想信条の自由も侵されたのである。戦後もなお、靖国神社を国家護持しようとする法案が数度にわたって、国会に提出された歴史がある。そのときには、民主的な勢力の力が強く、戦争の記憶もなまなましかったので、この法案はついに廃案となって久しいのである。この道が突破困難だと見なした人々は首相の靖国公式参拝を目指し、その常態化でもって突破口を開こうとした。小泉前首相のとき、戦犯合祀のことも含めて、このことが大きくクローズ・アップされた。
 近代の日本の歴史は天皇制により、個を抑圧し、全体の中に埋没させ、侵略戦争を前進させたのである。天皇制と国家神道と軍隊は一体になって、あの日清戦争以来の戦争を遂行してきたのである。
 第20条は平和のために必要なものである。それは一人の個人にとってもそうであるし、日本全体にとってもそうである。ここは、一つの生命線であって、ここがかえられると日本の社会は全体主義に向かって、急転落していくことになるだろう。一般的に理解されないところであるが、極めて重要なところである。改悪させてはならない。
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# by reodaisuki1s | 2007-08-30 00:30 | 憲法「改正」問題  

新憲法草案注解  第十九条(思想及び良心の自由)

現行の第十九条はこうである。

 第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

 これを、(個人情報の保護)を加えて二項にしている。以下のごとくである。

(思想及び良心の自由)
第十九条 思想及び良心の自由は、侵してはならない。

(個人情報の保護等)
第十九条のニ 何人も、自己に関する情報を不当に取得され、保有され、又は利用されない。
2 通信の秘密は、侵してはならない。


 この二つを較べてみて、奇異の念をおぼえるのは、なぜ第十九条に(個人情報の保護等)を入れるのか、ということである。むしろ第二十一条の表現の自由のところに入れるべきではないか。これが入ったため、本来の思想信条の自由の印象が弱められてしまっているのである。個人情報の保護については、憲法にまで記載しなくてもよく、法律で十分ではないか。憲法の概念が起草者たちに明確でないのではないか。「通信の秘密は、これを侵してはならない。」は現行憲法では第二十一条②項にあるのであって、これを第十九条にもってくるのは無用な混乱をおこすことにならないか。

 現行憲法の第十九条は、先の大戦の痛烈な反省によっている。治安維持法は、まさに「思想及び良心の自由」を遠慮会釈もなく侵したのである。特に共産主義や無政府主義、自由主義、さらには宗教に対しても、暴虐の限りを尽くした。日本の敗戦時、三千人の思想犯が牢獄に入れられていたという。この歴史的事実を軽んじている姿勢が、ここにも現れている。
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# by reodaisuki1s | 2007-08-28 11:10