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鳩山新首相は改憲論者

 鳩山首相は、改憲論者であるということを知った。よく調べてみなければなるまい。
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by reodaisuki1s | 2009-09-27 23:56  

憲法改正はどうなるか

 去る8月30日に、衆議院選挙が行われ、民主党が308議席を獲得し、自民党が惨敗したことは、言うまでもないことである。
 このことによって、憲法改悪の気運は遠のいたと言えるだろう。朝日新聞などではアンケートの結果を公表していて、それを読んでいると当座は、心配なさそうである。社民党が民主党と連立政権に加わるということだから、改憲はさらに困難となったろう。
 しかし、9条を変えたいというのは保守層の年来の願いだし、改憲要件の緩和については、財界も願っているであろう。民主党政権が長期化し、当面の経済問題などをある程度解決できたら、とりかかる可能性もある。そして、一番懸念されるのは、世界で戦争が勃発したときのことで、そのときにはまた9条のことが問われるであろう。しかし、オバマさんがアメリカの大統領の間は、少しだけ安心な気がする。なかなか、読めなくなってきたということがある。新しい時代が始まってきたという気がする。しかし、キリスト者のわたしとしては、政治では決定的に新しいことはできまいという思いをますます強く抱くようになっている。
 しかし、自民党が、新憲法草案をまとめたということは、自民党もいよいよ終わりに近づいていることの証しだったのかもしれない。長く、政権を任されていたからこそ、あのような新憲法草案をつくることができたのであるが、あれを読むかぎり、新しい時代を切り開く力はなかった。古いものを求めていたのである。あの新憲法草案を検討しながら、次第にわたしが思うようになっていたのは、実に自民党というものがどういうものであるかよく現している草案だということであった。わたしには、自民党がどういう政党であるか、ある一定のイメージがあったが、新憲法草案を検討する中で、自民党の思想とでもいうべきものが、一定の言葉で言い表すことができるようになっていったのである。自民党は結党50周年で、自らのアイデンテティーを新憲法草案で言い表し、そうした自己証明をしつつ老い、滅びに向っていたのである。
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by reodaisuki1s | 2009-09-03 14:03  

新憲法草案注解  お休みのおことわり

 1年半ぶりに、書きます。最近、ある方から、「そうはちのコラム」をことわりなしに中断しているのは、どんなものか、というお叱りを受けてしまいました。古くからの友人で、私のブログを見つけて、読んでくださったのですが、断りもなしに中断していたので、かなり心配してくださって、手紙をくださったりしたのですが、私がそのときには引っ越してしまっていたので、すぐ連絡がつかず、何かあったかとひどく心配してくださったのです。申し訳ないことでした。
 私は、自分が書いたものが、それほどすぐれたものだと思っていないのですが、あるいは、楽しみにしていてくださった方がいらしたかもしれない、と思うようになり、少しこの場で弁明させていただきます。
 「そうはちのコラム」を「そうはちのコラム2」として再開したときは、続けていくつもりでした。しかし、もともと憲法の勉強をしたものではなく、前に進むのが困難となっていました。それから、引越しをして新しい職場にかわって、そこで新しい課題と取り組まなければならなくなりました。それと、もう一つ。自民党政権がガタガタになって、改憲どころではなくなっているので、一安心していたということがあります。それで、危機感が薄れたというのが、「そうはちのコラム2」が何回かの投稿で、途切れてしまったわけです。
 しかし、わたしは全く油断しきっているわけではありません。前から、憲法「改正」するためには、政界再編成が絶対的に必要欠くべからざるものだと思ってきました。衆参の二つの議院で通過することのできる改憲案は、政界再編成が行われ、保守政党が大同団結して、国会の両議院で三分の二以上の議席をとったときのことだと思っていました。最近、そのときが近づいているかもしれないと思っています。そのときは、自民党の草案を参考にしながら、新しい改憲案が論議され始めるのではないか、と思っています。それまで、しばらくお休みにします。政界再編成は必至でしょうが、改憲の動きが、再稼動しないことを願っています。
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by reodaisuki1s | 2009-03-16 10:38  

新憲法草案注解 第二十条(信教の自由)Ⅱ

 現行憲法ニ十条が、九条と強いつながりを持っているのは、1945年の敗戦時、日本に進駐してきた、連合軍GHQが、10月にいわゆる神道指令というものを出して、国家神道を解体していることから明らかである。この神道指令が今日の、第二十条、八十九条のもとなのである。これは、アメリカで日本の敗戦後、日本が再び戦争しないようにするためには、国家神道を解体する必要があると考えられていたせいである。
 私は、このアメリカの研究者たちの見解はただしかったと思う。わたしは、戦争を阻止したいので、そのことからも、現在の第二十条を堅持したい。
 そして、第二十条は、全体主義に抗する闘いの橋頭堡なのである。天皇制全体主義と軍隊によって、戦争は遂行され、人権侵害がなされた。
 9条と20条が同時にかえられようとしているのは決して偶然ではない。それは一つの車の両輪なのである。天皇制全体主義国家という、一つの車の。

 ついでに言っておくと、戦前と戦後、神社は宗教ではない、儀礼だという論理で、神社非宗教論が唱えられた。これこそ、神道を特別扱いして、国家神道を可能ならしめる論理なのである。ちゃんとものを考える人なら、こんな論理には誤魔化されないであろうが、誤魔化される人もいるのである。そこに権力はつけこんでくる。だまされないようにしたい。

 なお20条に関連する89条にも手がつけられたいる。

 もうひとつ言えば、19条に手をつけず、20条に手をつけたということが注目される。「信教の自由」を制限した後に、「思想の自由」を奪おうという算段であろう。
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by reodaisuki1s | 2007-08-30 17:39  

新憲法草案注解  第十九条(思想及び良心の自由)

現行の第十九条はこうである。

 第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

 これを、(個人情報の保護)を加えて二項にしている。以下のごとくである。

(思想及び良心の自由)
第十九条 思想及び良心の自由は、侵してはならない。

(個人情報の保護等)
第十九条のニ 何人も、自己に関する情報を不当に取得され、保有され、又は利用されない。
2 通信の秘密は、侵してはならない。


 この二つを較べてみて、奇異の念をおぼえるのは、なぜ第十九条に(個人情報の保護等)を入れるのか、ということである。むしろ第二十一条の表現の自由のところに入れるべきではないか。これが入ったため、本来の思想信条の自由の印象が弱められてしまっているのである。個人情報の保護については、憲法にまで記載しなくてもよく、法律で十分ではないか。憲法の概念が起草者たちに明確でないのではないか。「通信の秘密は、これを侵してはならない。」は現行憲法では第二十一条②項にあるのであって、これを第十九条にもってくるのは無用な混乱をおこすことにならないか。

 現行憲法の第十九条は、先の大戦の痛烈な反省によっている。治安維持法は、まさに「思想及び良心の自由」を遠慮会釈もなく侵したのである。特に共産主義や無政府主義、自由主義、さらには宗教に対しても、暴虐の限りを尽くした。日本の敗戦時、三千人の思想犯が牢獄に入れられていたという。この歴史的事実を軽んじている姿勢が、ここにも現れている。
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by reodaisuki1s | 2007-08-28 11:10  

新憲法草案注解  第十六条(請願をする権利)

第十六条については、たいした問題ではないかとも思われるが、なにか、狙いがあるのではないだろうか。まず、現行憲法を書き出してみる。

第十六条 何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。

 これを案では、二つの項に分けている。

 (請願をする権利)
第十六条 何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願をする権利を有する。

2 請願をした者は、そのためにいかなる差別待遇も受けない。
 
 確かに、現行憲法の文章は少しごたごたしているかもしれない。項目を二つにわけたのはわかりやすくするためだったのであろうか。わたしにはよくわからない。何か、ここに意図があると思われる方は是非おしえていただきたい。
 
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by reodaisuki1s | 2007-08-27 18:27  

新憲法草案 第十四条(法の下の平等)

 現行憲法の第十四条はこうである。

第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

2項、3項省略

 これを、新憲法草案では、このようにした。

 (法の下の平等)
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別,障害の有無、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

2項、3項省略

 何がかわったかというと、案では「障害の有無」という言葉が入ったことである。しかし、これが入っていなくても、現行の憲法でもそれは当然であろう。問題は、こういう提案をしている自民党が既に、障害者自立支援法という悪法を通してしまっていることで、自民党が障害者のことを本当によく考えているとは言えないことである。私はある軽費老人ホームの施設長とよく話す機会があったが、今や「福祉」は死語になっているという。そして障害者のひとたち自身から、障害者自立支援法がいかに障害者を苦しめることになっているか聞いている。

 そうした声を聞いている者としては、新憲法草案に「障害の有無」という言葉を入れてみせているのは、見せかけとし顔も思えないのである。ここを読んで、新憲法草案にもいいところがあると思ってしまうなら、見事、自民党の術策に陥ったということになろう。人のいい人たちがだまされないように願っている。
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by reodaisuki1s | 2007-08-27 17:26  

新憲法草案注解  第十三条 Ⅲ

 第十三条Ⅱで書いたことであるが、個人の基本的人権を国家権力から守るというのが、近代憲法の基本精神である。これがいわゆる立憲主義である。

 この立憲主義という言葉を使って言えば、今回の新憲法草案は、立憲主義と平和主義から脱却を目指したものだと言えよう。安倍晋三総理大臣の、「戦後レジュームからの脱却」というのは、「立憲主義と平和主義から脱却して、美しい国日本へ」ということであろう。この「立憲主義の否定」ということは、憲法の改正要件のところにも出ている。

 現行憲法の97条では、衆議院でも参議院でも三分の二以上の賛成がなければ、憲法改正の発議ができないのであるが、それを過半数でできるようにしようとしているのは、憲法の重みを認めようとしないもので、これも立憲主義を軽んじている現われであろう。13条は現行憲法の要と言えるようなところであるから、詳しい論述が必要かもしれないが、我々の取り組んでいるのは、自民党の案なのであるから、その問題点を指摘するにとどめよう。あるべき憲法の提案はここではしない。個人的には、現行憲法の1条から8条までの第1章 天皇 のところを削除したら一番いいと思う。しかし、大方の日本人はそこまで進もうとはしていない。日本人の思想的弱点はここにあると思われ、徹底した思想が生まれないのも一つにはここに原因があるであろう。
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by reodaisuki1s | 2007-08-27 17:06  

新憲法草案注解  第十三条 Ⅱ

 前回、入力してからだいぶ日時がたってしまった。
 繰り返しにあなることも多いであろうが、おゆるしいただきたい。私は非力ながら、新憲法草案を繰り返し検討し、憲法について勉強し、考えてもきた。素人であるが、憲法をかえるとなると、国民投票する主体となるので、そのときは素人とか玄人とか言っていられないのである。だから、憲法の勉強と新憲法草案の検討は私にとって、自分に課せられた義務と思われたのである。私は、戦後3年目に生まれたもので、現在の日本国憲法のもとに生きてきた。それでも学校で憲法のことをちゃんと教えてもらったことがない。憲法が変えられそうだということで急いで勉強し始めたというところである。おそらく日本国中で今その作業がされているのでhないか。そのことはよいことだと思う。

 さて、新憲法草案に取り組むうちに、私は次第に人権条項に新憲法草案が手をつけようとしていることの重大さに気付くようになった。

 実は、前々から、「国体」というものについてちゃんと勉強しなければならないと思っていた。この「国体」は「国民体育大会」のことではない。国の国たる本体というべきものである。もっとはっきりいうなら、日本で、「国体」と言えば、天皇制のことをさいていた一時代があったのである。それが特に強調されていたのは、明治以降、先の大戦の敗戦までである。

 この「国体」の精神が、新憲法草案にはうかがえるということである。それは「公益と公の秩序」という言葉として入っている。

 私は、新憲法草案を検討しているうちに、大日本帝国憲法を読み直さざるをえなかったし、そのために伊藤博文の「憲法義解」まで読んだ。これは岩波文庫に入っている。
 それから、私は、インターネットで検索して、「国体の本義」の全文を読むことができた。現代文にしたものを読んだのだが、これは、新憲法草案を検討し始めてもっとも興奮した経験となった。ここから読めば、自民党の新憲法草案の解読ができると思ったのである。
 「国体の本義」というのは、あの美濃部達吉の「国体明徴事件」の次の年、文部省から出されたものである。私は、これを実際に読む前に、この「国体の本義」が敵と名指ししているのが、共産主義だという先入観をもっていた。しかし、そうではなかったのである。この「国体の本義」が出されたときは、既に共産党は壊滅的であって、治安維持法の矛先は次第に他の人々に向けられようとしていたのである。

 「国体の本義」が敵として名指したのは、何であったか。それがまさに「個人主義」だったのである。「国体」の思想と現行憲法13条の「すべて国民は個人として尊重される。」は、全く水と油なのである。13条は、熟考してみると、天皇制と相容れないのではないか。あくまで天皇制を維持し、強化しようとしている新憲法草案は、個人主義を骨抜きにしようとして、「公共の福祉に反しない限り」を「公益及び公の秩序に反しない限り」としようとしているのではないか。
 そう解釈すると、事は重大である。ここで全体主義国家への道が開かれようとしているのである。実は、このことは昨年の教育基本法の改正、もちろん改悪であるが、で既にかなり進められてしまったことである。
 9条の改悪も極めて重大だけれど、この13条の改悪もそれにまさるとも劣らないものに思われる。これは国民主権を間接的に崩すことにもなる。なぜなら、天皇制が強化されるところでは、国民主権もおかされてくるのはことの道理というものである。
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by reodaisuki1s | 2007-08-27 12:06  

新憲法草案注解 (個人の尊重等)第十三条 Ⅰ

 この13条の問題は、基本的に12条と同じであるが、読者には、新憲法草案には(個人の尊重等)とあることに注意をうながしたい。(個人の尊重)ではない。(個人の尊重等)とある。現行の憲法13条になにか標題をつけるとしたら、(個人の尊重)であろう。(等)をつけくわえることによって、(個人の尊重)を骨抜きにしようとしているのである。

案の十三条はこうである。

第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

現行憲法ではこうである。

第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉び反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 現行憲法で「公共の福祉に反しない限り」となっているところが、「公益及び公の秩序に反しない限り」となっているところの問題については、一年前の4月に「そうはちのコラム」の最後で論じたが、次回、別の面から論じてみたい。
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by reodaisuki1s | 2007-08-09 20:04